【遅めの自由研究】サカナクションの「モス」を自由に分析してみた
今年6月にアルバム『834.194』をリリースしたサカナクション。
前作『sakanaction』から6年ぶりにリリースされたことでも話題となったが、サカナクションにとって“6年ぶり”となったのはアルバムのリリースだけにとどまらなかった。
同アルバム収録曲の「モス」が、深田恭子主演のフジテレビ系木曜劇場「ルパンの娘」の主題歌として起用され、サカナクションがドラマ主題歌を6年ぶりに担当したことも人々の関心を集めることとなった。
その後、サカナクションはテレビ朝日系「ミュージックステーション」でアンダーグラウンドなDJパーティーをイメージしながら「モス」を披露し、そのパフォーマンススタイルも注目を浴びていた。
今回はそんな「モス」について、筆者なりの着眼点も交えながら、楽曲を分析していきたい。
「モス」の画像がやたらと気になる、ちゃんさき氏
「モス」と「忘れられないの」は、アルバム『834.194』だけでなく、サカナクションこだわりの仕様の、8cmシングル『忘れられないの / モス』にも収録されている。
サカナクションが2曲を制作するにあたり、1980年代の音楽と文化に影響を受けたことから、当時普及していた8cmシングルという形態でリリースされた。
8cm Single「忘れられないの/モス」
— sakanaction (@sakanaction) 2019年8月20日
本日店着日、フラゲの報告も続々と届いております!
生産の都合上、今回はリリース枚数限定となりますので、お早めにお買い求めください。
今週放送のテレビ朝日「ミュージックステーション」での「モス」披露もお楽しみに! #モス #忘れられないの pic.twitter.com/oIbW60AKuG
8cmシングルの表ジャケットが「忘れられないの」、裏ジャケットは「モス」となっているが、ここで注目したのが裏ジャケットに写っている蛾の種類だ。
自分なりに調べた結果、この蛾、どうやら「クスサン」という種類らしい。
「クスサン」に迫る
クスサン。なんだか“さん”付けだと、妙に親近感が湧くという人も多いのではないだろうか。
そんなクスサンが幼少期(幼虫)の頃は、「シラガタロウ」という別名も持っているらしい。漢字だと「白髪太郎」。白髪のクス太郎さん、という謎の人物が脳裏にちらついた。やっぱり、どこか人っぽい。不思議な蛾だ。
シラガタロウのお腹の中には絹糸腺という糸を作る器官があり、ここから昔はテグスを作っていたそう。今のテグスはナイロン製が主流とのことだが、釣り好きの山口一郎さんも、昔はクスサンからテグスを作っていたのだろうか。
マイノリティ meets マジョリティ、マジョリティ meets マイノリティ
そして、そんな「モス」と対比にあるのが、アルバム『834.194』内にある「ナイロンの糸」だと思う。
こだわりの強いサカナクションだからこそ、今は“マイノリティ”となったクスサンから作ったテグスと、“マジョリティ”となったナイロン製のテグスを、さりげなくアルバムの中で比較できるようにしたのではないか、と考えた。
そして「モス」が“マイノリティ”と歌いながら“マジョリティ”向けに歌われており、「ナイロンの糸」という“マジョリティ”のテグスが曲名でありながら“マイノリティ”向けに歌われているということも大きなポイントだと思う。
サカナ論
サカナクションの音楽は、“マジョリティ”や“マイノリティ”といったことに意識が向けられていることが多い。
“マジョリティ”と“マイノリティ”の狭間にいるようなサカナクションは、自分たちなりの“マイノリティ”へのアプローチを試みつつも、“マジョリティ”についても考えており、両者の意見を重視しているように感じている。
その考え方は、“東京”と“札幌”がコンセプトのアルバム『834.194』でも見られるが、過去に販売されたサカナクションのグッズにも表現されている。
また、「ミュージックステーション」でのサカナクションの「モス」のパフォーマンスを覚えているだろうか。
“アンダーグラウンドなDJパーティーをイメージした”とうたっていたものの、魚民(※ファンの呼称)ならば、あれが“いつもの”サカナクションでないことは知っているだろう。
サカナクションは、クラブ風の雰囲気を醸しだしたパリピ演出という、明らかに“マジョリティ”を意識したパフォーマンスでありながら、そこで“マイノリティ”を叫んでいたのだ。
しかし、その“マジョリティ”と“マイノリティ”の絶妙なバランスこそがサカナクションだと伝えたかったのではないだろうか。私はある意味、あれは“自己紹介”のようなものだと感じた。
「モス」は“自己紹介ソング”?
今度は歌詞に注目して、「モス」を聴いてみてほしい。
長い間“マイノリティ”に傾倒した生活を送ってきた山口一郎さん自身を表現しつつ、“マジョリティ”と“マイノリティ”の真ん中になるような音楽を追求し、葛藤している一郎さんの様子を描写。さらには、そんな自分を客観的に見ているように描いたものなのではないか、と考えた。
そして、そんなサカナクションを好きな人、応援している人すべてをこれからも“サカナ的世界観”に連れて行ってあげるという歌詞のように感じられた。
繭割って蛾になる マイノリティ
揺れてる心ずっと 三つ目の眼
連れてく蛾になる マイノリティ
君はまた僕を思い出せるなら
特にこの最後のパートでそう感じたのだ。
“マジョリティ”と“マイノリティ”の狭間にいる立場の考え方を紹介されたような、“自己紹介ソング”のように思った。
感想
それにしても、終わらない自由研究を続けている一郎さんはカッコいい。
楽曲やパフォーマンスなど、あらゆる場面でよりよいものへとアップデートしていくサカナクションには、見習うべきものがたくさんある。
私も日々を更新していきたい。