WANIMAの「曖昧」に問われた“本気度”
突然の出逢い
Apple Musicのプレイリスト「トゥデイズ J-ロック」を流しながら作業していたのだが、WANIMAの「曖昧」のところでふと手が止まる。
メロディがなんとなく心地よく、楽曲をクリックしてみる。そこには「曖昧」と大きく書かれた文字と、男女が楽しそうにダンスを踊る姿が写っていた。
このジャケ写にどこか惹かれたと同時に、ふたりのダンスが表す意味が気になった。
そこで、今度は歌詞を表示しながら、WANIMAの「曖昧」をじっくりと再生していく。
良い歌だった。そして、同時に“本気度”について考えさせられることとなった。
WANIMAの「曖昧」に迫る
WANIMAの「曖昧」は、おそらくラブソングだ。
しかしながら、この曲は“恋”や“愛”といった言葉はいっさい出てこないどころか、“好き”といった気持ちを直接的に表現していないのである。
代わりに、あのジャケ写のようにダンスしているふたりの男女が、そのメロディと歌詞から浮かんだ。“好き”といった想いを、ふたりの踊りで婉曲的に表現しているように感じ、そこにおもしろさを覚えた。
例えば、曲中には「駆け引き覗いて 震える明日に、ため息残して 崩れる足並み、思い通りに行かぬ憤り、揺れ動く内に 巻き起こせストーリー」といった歌詞が登場する。
大学時代に競技ダンスを体験してみたことがあるので分かるのだが、足並みひとつ揃える動作も本当に難しい。そのため、歌詞で駆け引きが見られるように、どちら片方でも“曖昧”だと、相手の足を踏んでしまう。息がぴったり揃っていないと、思い通りに行かないのである。
そして、例え相手が自分を試すような素振りを見せたとしても、この主人公は相手のことが好きだからこそ、お互いの気持ちがぴったり重なる、つまり両想いになるまで、恋愛という名のダンスを終わらせたくないのだろう。
“応援歌”にも聴こえる、WANIMAの「曖昧」
また、この曲は何も恋愛だけでなく、仕事や趣味などでも同じことが言えると思うのだ。
例えば、趣味がブログの人は、読者が求めている文章を考えすぎるあまり、かえっておもしろみのない記事が出来上がってしまい、読まれないことだってあるだろう。アクセス数がなかなか上がらないことへの不満から、匙を投げてしまう人も何人か見てきた。
それでも、“まだ終わらない”、“まだ足りない”、“まだ負けない”と思える人は、書くことが好きといった想いがあるからこそ、続けられているのだと思う。そして、楽しいからこそ、自然と続けているのだろう。
そうして何かを頑張る人の背中を押す“応援歌”のようにも聴こえたのだが、何かに対して本気の人はどれくらいいるだろうか。
試される“本気度”
私はというと、今年に入ってからようやく再び仕事や趣味などに打ち込めるようになってきた。
昨年の秋冬からやや身体が不調なのだが、それでも“まだ終わらない”し、“まだ足りない”し、“まだ負けない”と思いながら、仕事を続けている。ブログも思うように行かず、伸び悩む日々である。
本調子のときと比べてしまうと、どうしてもまだ全体的に本気度が戻ってきていないようにも感じるが、世の中、思い通りに行かないことはたくさんあると思っている。そうしたときに、どう行動するかが大切だと思うのだ。
いま試される“本気度”。時折、WANIMAの「曖昧」で自分を奮い立たせながら、自分の理想との華麗なダンスを繰り広げられるように、日々努めていきたい。