ミュージック バンク

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感性に訴えてきた楽曲を、ちゃんさきセレクションでお送りする音楽ブログ。独断と偏見で綴っています。

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“ロックンロール・ドリーマー”の音色は、今日も鳴り止まない

はじめに

あなたは心の中の“ロックンロール”をかき鳴らしているだろうか――。

“ロックンロール”。“ロック(rock)”と(and)“ロール(roll)”からなるこの言葉。日本語に無理やり訳すとしたら、“石が転がる”である。より分かりやすく表現するとしたら、“意思と意志(rock)”を持って、それを“生かし続ける(roll)”こと、だとも言えるだろうか。

例えばそれは「早くゲームしたいから、それまでに宿題を片してしまおう」といった小さなことから、「編集長になるために絶対にここで頑張ってみせる」といった大きなことまでいろいろあると思うが、定めた目標に向かってひた走っている姿は、みんな“ロックンロール”しているものだと思っている。

先生と私

そんな私には大きな夢があった。中高生の頃から、ずっと英語の先生になりたいと思っていた。自分ならもっと楽しい授業ができると、そう信じてやまなかったのだ。つまらない英語の授業を自分の手で変えてみたかった。だから、私は英語の先生になるために、英語学系の大学への道を選んだのだった。

しかし、入学して頑張りすぎたのである。周りを見渡せば、英語がペラペラな人ばかり。聞けば、高校生まで海外に住んでいたと言う。小学生の頃、帰国子女だった私とは比べものにならないほどの差があったのだ。その差を少しでも縮めるために、寝る間も惜しんでひたすら勉強していたのだが、2~3時間睡眠の生活は長らく続かなかった。大学1年生のときから統合失調症に苦しむこととなり、少しでも身体への負荷を減らすため、教職はあえなく断念した。大好きだった音楽も、ゲームも、読書も。すべて受け付けられなくなるほど、身体は既に限界だったのだ。これ以上、“ロール”したくともできなかった。

人間開花

そんな日々が半年から1年ほど続いたのだが、大学2年生は明るかったことを覚えている。講義は児童文学を楽しく受講していた他、サークルは卓球とダブルダッチを掛け持ちし、何かと充実した日々を送れていたのだ。そして、この頃からだろうか。卓球サークルの先輩方と徐々に親しくなっていき、サークル終わりにカラオケに直行。これまで洋楽やK-POPを主に聴いてきた私にとって、先輩方が歌う、RADWIMPSマキシマム ザ ホルモン、back numberなどの邦楽ロックアーティストの選曲はどれも新鮮だった。おすすめを聴いては、CDショップへと出掛けていく。そんな生活を送っていた。これが私のバンドとの出逢いである。KANA-BOONを好きになったのも、この時期だろう。

そして迎えた、大学3年生。エントリーシートの書き方を学んだり、SPIの勉強をしたりと、就職活動が本格化する中、ひと皮剥ける出来事があった。それが、自己分析である。自分の好きなことや好きなものをノートに書き止めながら、それぞれの好きな理由を深掘りしていたのだが、英語の先生にはなれなくとも、かねてから書くことが好きだったこと、そして読書も好きだったことから、出版の道を目指せるのではないかという希望の光がどこからともなく差し込んでくるのを感じた。

半ば反骨精神から抱いた夢は、これを機に自分の“好き”というポジティブな想いあふれる夢へと切り替わっていく。この自己分析を徹底的にやっていたからこそ、今があると言っても過言ではない。再び日々が“ロック”していくのを感じたのだった。第二章の幕開けである。

それからの私は、ひたすら音楽を聴いたり、映画を観たり、本を読んだりとインプットを欠かさなかった他、これまで勤めてきた塾講師のアルバイトを辞め、エンタメライターとしての一歩を踏み出したのである。プロの書き方を少しでも学ぶためだ。そうして大学3、4年生の日々はあっという間に過ぎていったのだが、出版社は全落ち。複雑の気持ちのまま大学を卒業し、なぜか気に入ってもらえた教育系の会社に就職した。そこで働きながら夢を追いかけ続けた結果、某出版社から「内定」を出してもらうことができた。記者としての道が拓けた瞬間である。9月11日のことだった。

言霊

記者として働いていた日々は本当に楽しいものだった。担当しているドラマの記事執筆から、ドラマ出演者へのインタビュー。何より音楽イベントに取材に行き、ライブレポートを書くことがこの上なく楽しかった。そして、未だに思い出すのが、その会社の採用面接である。今後のキャリアプランを聞かれた私は「編集がやりたい」、「編集長になりたい」とそう答えたのだ。

面接官は皆、笑っていた。本気になんてしていなかったのだろう。しかし、私は違ったのだ。至って本気の回答だった。私には大学生の頃から抱き続けた夢が3つあるのだ。ひとつがライター、もうひとつは編集者。そして3つ目は小説家だ。まずはライターになり、ゆくゆくは編集者になりたかったのである。だからこそ、誰よりも記者の仕事をこなしていた自負があったのだ。しかし、残念ながらその会社では叶うことは無かった。いろいろとあって退職してしまったのだった。

その後、100社以上、クリエイティブ系の仕事に携われる会社に応募するも、結果はまたしても全落ち。すべてお祈りされる結果となってしまった。それでも、あの日蒔いた夢の種だけはしっかりと育っていく。このブログを始めても、現在の仕事に就いても、編集がやりたいという想いは消えることなどなかった。しかし、今。その夢も掴むことができたのである。あの頃笑われた編集がやりたいという夢が、今、再び輝き出したのだ。何度挫けようとも、そのたんびに立ち上がってきたからこそ、今があると思っている。これから先の光景が非常に楽しみである。

“ロックンロール・ドリーマー”の音色は、今日も鳴り止まない。

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