ミュージック バンク

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感性に訴えてきた楽曲を、ちゃんさきセレクションでお送りする音楽ブログ。独断と偏見で綴っています。

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【宇多田ヒカル「Gold ~また逢う日まで~」】“金色”に光り輝く“魂”の歌

宇多田ヒカルの「Gold ~また逢う日まで~」が大変に素晴らしかったことをまず言わせてほしい。

実はこの曲についてメディアで掲載する予定だったのだが、当時は情報の扱いがかなり厳しかったことや、当方の実力不足なども伴い、諸々話し合った結果、寄稿は取り下げとなった経緯がある。

いったんはこの曲について書くことを諦めかけようとしたものの、現時点では未発表の年間ベスト(総合編)を作成していた際に、気に入っていたこの曲もピックアップしようと思い立ったのだった。しかしながら過去原稿に固執してしまい、なかなか進められなかったのである。

年は明け、春になり、再び年間ベスト(総合編)とこの曲について向き合おうと心に決めた今、書いては消してを何度も繰り返すうちに、この曲だけで1本上げられるほどの文量を書くことができたのだった。それがあなたに読んでいただけているこちらの記事だ。

“あれ以来聴いてなかった曲”だが、それでも目が離せなかった宇多田ヒカルの「Gold ~また逢う日まで~」。この記事では映画『キングダム 運命の炎』の内容も交えながら、自由に書いていきたい(※以下、一部ネタバレあり)。

原泰久の人気漫画を映画化した、紀元前・春秋戦国時代の中国を舞台に展開される『キングダム』シリーズ。その第3作となる『キングダム 運命の炎』の主題歌を手掛けたのは宇多田ヒカルだ。

同作では天下の大将軍になる夢を胸に日々成長していく主人公・信(山﨑賢人)と彼が憧れている大将軍・王騎(大沢たかお)が敵の趙国を相手に初めて同じ戦場に立つ「馬陽の戦い」や、中華統一を目指す若き秦王・嬴政(吉沢亮)の過去が明らかになる「紫夏編」が描かれているのだが、宇多田の「Gold ~また逢う日まで~」はそのうちの後者「紫夏編」を強く思い出させるものとなっている。これが実に圧巻だった。

かつて餓死寸前だったところを行商人に助けられ、その実の子であるかのように育ててもらった過去を持つ、趙国の闇商人・紫夏(杏)。この曲を聴くたび、人から受けた恩恵は次の者へと返すようにという義父が残した言葉に従い、窮地に陥った嬴政を身を挺してまで守り抜いた“あのシーン”がありありと浮かぶのである。

まるで馬が走っている様子を彷彿とさせる、時折り金属が激しくぶつかるような音を交えた疾走感のあるサウンドからも“あの光景”を鮮明に蘇らせる工夫が施されているように感じるのだが、それだけではない。ところどころに散りばめられたワードにも、意味があるように感じるのだ。

例えば「いつか起きるかもしれない悲劇を/捕まえて言う「おととい来やがれ」」や「外野はうるさい/ちょっと黙っててください」という歌詞が登場する箇所では、宇多田が紫夏の気持ちに寄り添っていることがわかるのではないだろうか。紫夏の懸命な説得により、自分自身の過去の亡霊に囚われていた嬴政が自ら亡霊を断ち切り、人間らしさを取り戻していく姿などが脳裏に浮かぶのである。

また、そうした紫夏の恐怖に屈しない勇気や母性あふれる優しさは間違いなく“金色”に輝いていると言っても過言ではない。希少性が高いプラチナよりも、地球の物質で最も硬いダイヤモンドよりも、銀河系の中で一番近くて大きいアンドロメダよりも、紫夏が持つ心からの輝きはずっと価値が高いことを“Gold”という色になぞらえているようで気に入っている。

『キングダム』ファンも思わず唸る主題歌だったのではないだろうか。

そして、ここで終わらせないのが宇多田の凄みである。宇多田はその後、同曲のリミックス「Gold ~また逢う日まで~ (Taku's Twice Upon a Time Remix)」をリリースしている。

ここで注目してほしいのが表題だ。「“Twice Upon a Time” Remix」となっており、“once upon a time”が“昔々”を意味することから、意訳するならば“昔がいま再び繰り返される”といった意味のようにも捉えることができるのではないだろうか。

行商人が紫夏へ、紫夏が嬴政へと、自分が受け取った恩や優しさを他人にも受け渡していく大切さが「紫夏編」で描かれていたように、宇多田は私たちにもそれを“いま再び繰り返す”ことの重要性を問うている気がしたのだ。

紫夏が持っていた“金色”に光り輝く魂。それはきっと、一人ひとりの心に確かに在るものなのかもしれない――。