【Hump Back「拝啓、少年よ」】勝つための方法
“拳”を求めたHump Back
「手拍子大丈夫やで。ありがとう」
手拍子ではなく拳を求めた、Hump Back。
みんなで拳を突き上げたあの光景。熱量の高いパフォーマンスとメッセージ。そこで見たもの、聴こえたもの全てが胸に響いた。
これは5月に開催された、春の野外音楽フェス「METROPOLITAN ROCK FESTIVAL 2019」(通称:メトロック)の東京公演2日目での出来事だ。
あの時、あの場所で味わえたHump Backのライブが、筆者は未だに忘れられない。
拝啓、少年よ
筆者は当時、転職活動をしていた。編集者になりたい、という夢があった。その目標を叶えたいという一心で、何十社もの企業を受け続けていたものの、なかなか上手くいかなかった。
そんな中、Hump Backは「拝啓、少年よ」を披露してくれた。
“夢はもう見ないのかい?”という最初のフレーズに妙にドキリとさせられた。“諦めはついたかい?”という歌詞で、なんだか胸が苦しくなった。
“今はもう見れないさ”の箇所で、前職の光景が自然と脳裏に浮かんだ。イジメに耐えられなくなって退職したとはいえ、それまでの“笑いあった日々”を何度“馬鹿みたいに思い出し”たことだろう。
サビに入った頃には、こみ上げてきた気持ちが抑えきれなくなり、号泣していた。怒りや悔しさ、悲しみなど、負の感情がぐちゃぐちゃに入り混じった涙を流しながら、力強く握りしめた拳をひたすら突き上げ続けた。“君が思う程に弱くはない”し、“負けっぱなしくらいじゃ終われない”。そう本気で思った瞬間だ。
負けっぱなしくらいじゃ終われない
当時のこの光景を振り返りながら、なぜ拳を求めるのか、どうやったら拳を開かせることができるのか、という率直な疑問が浮かんだ。じゃんけんに例えるとしたら、パーのほうがグーより強いからだ。せっかくだから、勝ちに行きたい。
そもそも、人が拳を握りしめるときというのは、気合いを入れるためという意味合いもあるが、否定的な感情でいるときのほうが多いのではないだろうか。悔しいときや怒っているときなど、何か言いたいことをグッと我慢するときによく見られるしぐさだと思う。
一方、手を開いているときというのは、他人に心を許しているときなど、ポジティブな感情でいるときによく見受けられる手の動きだと感じている。
しかし、Hump Backはパーではなく、“グー”を求めていた。しぐさから見たときに、これは一人ひとりの気合いを見せてほしいということのようにも思えるが、じゃんけんならば負けている。ただ、一度負けているからこそ、次からは勝ちに行けるのではないかと私は考えた。
勝ち負けの話をしよう。本来ならば、誰だって負けたくないと思う。負けて自分の心が傷つくことはなるべく避けたいことだと思う。それでも、ときどき痛みに打ちひしがれてしまうときがある。傷が痛むあまり、何かをあきらめそうになってしまうときもあるだろう。
ただ、痛みを知ることは、次に進むための大事なステップであることも多い。負けて痛みを知っているからこそ、他の人にやさしくなれたり、何か自分にとって大切なことを学べることだってたくさんある。自分自身を成長させるためには、負けることだって大切な要素だと私は思う。
また、一度負けて経験した痛みは、再び同じことが起きたとしても、もう痛まなくなっているのではないだろうか。いつかは、負けた悲しみも悔しさも怒りも、自分の糧に変わる日が来るだろう。
人生、最初から“勝ち組”なんて人はいないとも私は思う。ほとんどの人は、たくさん負けて傷ついた経験を乗り越えてきたからこそ、勝つことができるのだと私は思っている。
だからこそ、Hump Backは拳を求めるのだと思う。きっと彼女たちは、勝つためには負けることも大切なことを知っている。“グー”がいつかは“パー”に変わる瞬間はきっとあるから、まずは“負け”という“強みに変わるチャンス”をライブで知ってほしいと思っているのではないか、とも思う。
そして、それこそが“ロック”だと、観客一人ひとりに伝えてくれているように私は感じた。
遠回りくらいが丁度いい
それからおよそ2ヶ月。私はついに夢を叶えることができた。あのとき何度も力強く握りしめた拳は、今では私の宝物だ。
およそ7ヶ月にわたり行った転職活動。もう50社以上受けた。その時間が無意味なものに感じた瞬間もあったし、もし辞めていなかったら、と何度も過去を振り返ったりもした。
それでも私は、編集者になりたい、という夢をあきらめられずに見続けたのだった。
これでダメなら業種を変えよう、と思っていたところ、最後の最後でようやく掴むことができた。その会社で私は今、働いている。
さらなる夢に向かって、これからも邁進していきたい。